幸せな死に方

私は、64歳の医師ですが、今まで大学病院を中心に勤務をしてきました。2000年以降、在宅医療が推進され、自宅で最期を迎えることが幸せだと考えられてきました。「大病院で点滴が何本も繋がれて、最期を迎えるより、住み慣れた自宅で人間らしい死を迎えること」が「良し」とされました。しかし、今は大学病院でもいたずらに延命治療は行わず、患者さんの苦痛をとる医療が浸透しているので寧ろ自宅で最期を迎えるより、在宅医療で疲弊しない家族に見守られて迎える最期というのも選択の一つだと思います。しかし、これらは自分というより家族との関係で選択されるものかもしれません。

自分で選択することは、「最期まで自分の成長を求めるか?」あるいは「ある年齢を超えたら、成長を求めず、穏やかさを求めた生き方にするか?」ということだと思います。前者の生き方は、喜びもあるかもしれませんが、自分の目標に到達しない時は苦痛を感じるでしょう。歳と共に自分の能力の低下を実感することになるでしょう。それでも私はその様な生き方を選ぶ気がします。

心地よさは体の外側から感じるもので苦痛は自分の内側から発する感覚の様な気もします。苦痛があっても幸せな死に方を模索したいと思います。

 

2022年12月26日時点の医師横山啓太郎個人の意見です。