コロナ禍のオリンピック開催が教えてくれるもの

オリンピック開催まで、後4日となりました。コロナ禍のオリンピック開催については賛否両論ありましたが、いつの間にか開催が前提となり、開催方法が議論されるようになりました。

管総理は「オリンピックが始まれば、オリンピック開催に対する逆風は収まる」と言い、小池都知事も「スポーツの力を信じる。」と述べ、オリンピックに抑制的な規制については国が決めることと責任を負うことを避けている印象があります。

日本国民は。海外からウィルスが持ち込まれることを恐れ、選手の管理体制についてピリピリしています。

しかし、これは日本人からの目線であると思います。

 

海外の選手は「ワクチン政策が遅れた日本に行くことはリスクが高い。」といって参加を拒否しているのです。サッカーUEFA EURO2021、ウィンブルドンMLBオールスターのどれをみても多くの観客がマスクを外して観戦しています。

これを観ると、海外の選手が日本に来るのを恐れるのは当然であると思います。

 

多くのマスコミが取り上げてきたコロナ禍のオリンピック開催に対する政府のゴタゴタよりも、観客を入れることができなかった政策の不備を政府や都知事に訴えるべきでしょう。欧米に比べてコロナの死者数が少ないと政府が説明していますが、日本の15059人の死者数に対して韓国は2057人です。人口比にすると韓国の3倍の人が新型コロナで亡くなっています。

その対応の不味さを「オリンピックが始まれば、オリンピック開催に対する逆風は収まる」という言葉で収め、若い頃の東京オリンピックの思い出を答弁することに、私は危機感を感じます。

 

コロナ禍のオリンピック開催が教えてくれるものは政治システムを根本から変える必要性です。

この20年で多くの国の賃金は2倍になっています。しかしながら我が国は殆ど上がっていません。物価も上がっていないので国民はそのことに関する危機感もないのです。

先ずは、選挙をネットにして若い政治家を国民が育てることでしょう。

若い国民や役人には十分な報酬を準備することも国民が容認する必要があると思います。

 

※2021年7月19日時点の医師横山啓太郎個人の意見です。