感染拡大に対する国としての方針と個人としての方針

新型コロナウィルス感染症に対して、イスラエル歴史学のユヴァル・ノア・ハラリは、国としても個人としても価値観の変革が求められていると指摘しています。

国としてどの様な方針で他国との関係を構築していくかには2つの選択があります。
1.人的な交流を遮断して、資源も自国優先に確保する。
2.世界全体として感染症と戦う。
 
感染リスクが高い国からの人の流入を遮断することは、移民問題が切実な欧州の方がより大きな問題となっています。
しかし、日本でも佐久市長が「自粛要請の趣旨をもう一度考えて」などと首都圏住民向けにツイッターに書き込んだことが、話題になっています。
佐久市長が佐久市民のことを考えて首都圏住民を排除したコメントとは断定できないと思われますが、「自分の周りの感染リスクを減らしたい。」という考えは当然といえます。

また、マスクや人工呼吸器はすべての国で十分量はなく、国益のためには最低限の医療資源を確保することが選択されます。
これも個人レベルでマスクを買いに走る感覚と同じで、当然の選択と言って良いかもしれません。

一方で、新型コロナウィルス感染症には世界で戦わなくてはいけません。
日本だけが感染を制御できても他の国で感染が蔓延していたら、今と同様な制限された生活が続くことになります。

ワクチン開発や治療薬の開発も含め「世界が1つの船である」という意識がなければこの感染症に勝つことは出来ません。
個人レベルでマスクが十分あっても医療機関にマスクが不足していれば、感染爆発が生じることと同様です。

2つの選択はバランスとして捉えられなくてはいけません。
今回の新型コロナウィルス感染症により、自国を優先してきた中国や米国が、さらに自国優先を加速するのか、他国との協調に軸足を持つようになるのかは今後の世界にとって重要な問題です。
そして、それは日本にとっても重要な選択になるでしょう。
 
一方、感染拡大の対策である物理的に人と人との距離を取る「ソーシャル・ディスタンス」をどの様に国民に浸透させるかにも2つの方法があります。
1.法的に外出を制限し、徹底的に監視する方法
2.国民の意識を高めて、自ら外出を制限するような行動を起こさせる方法
 
この2つもバランスですが、日本では「法的に外出を制限し、徹底的に監視する方法」取ることは出来ません。
従って「国民の意識を高めて、自ら外出を制限するような行動を起こさせること」を如何に浸透させるかが重要になってきます。
こちらには時間がかかり、不完全な場合は、医療崩壊を招きます。
 
この感染症は、どの様な犠牲を齎すかは、その対応によって異なりますが、一定期間で必ず終わります。
Post coronaでは、国としてどの様な選択をしたのか、個人としてどの様な選択をしたのかが問われることになります。

※2020年4月7日時点の医師横山啓太郎個人の意見です。